|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の不思議な村】 これらの石碑は旧高遠藩領内のとある村にあるお寺のところに集められていました。左上の石碑には「南無妙法蓮華経壹千部」と彫られています。このお寺は日蓮宗のお寺ですから、この石碑は不思議ではないのですが、「帝釈天」と彫られている石碑は、実に不思議です。日蓮宗の中心的教理は、「『南無妙法蓮華経』と唱えることによって、法蓮華経=法華経に記されている御利益を受けることが出来るということです。 「帝釈天」はしかし、インド神話のインドラ神が仏教に取り入れられたもので、「天帝釈」とか「釈提桓因(シャクダイカンイン)」と呼ばれる神です。そもそも、日蓮宗では本尊がありません。そして、「南無妙法蓮華経」と唱えることによって、法華経の御利益を受けることが中心的教理ですから、御本尊がないのであろうと思われます。 そして、ここにも「庚申」碑と「甲子」碑がありました。こうした石碑は、旧高遠藩領内の多くの村々に残っています。そしてそれらの「庚申」碑は庚申の年に、「甲子」碑は甲子にとしに建てられていますが、この「甲子」碑には「元治二」と彫られています。元治二年は乙丑の年です。ただ、前年の元治元年は甲子の年ですから、何らかの事情があって元治元年に建てられなかったので、元治二年になって建てられたのであろうと思われます。 つまり、日蓮宗のお寺の檀家になっている村で、庚申と甲子のマツリをしていたということなのでしょうか。ただ、こうしたことは会津だけでなく、関東地方でも見かけてきました。板東三十三観音の中に、曹洞宗のお寺に祀られている観音菩薩像が何体あるでしょうか。そして、会津三十三観音にも同じことが言えますが、こうしたことが何故起こってしまったのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.04 11:27:40
コメント(0) | コメントを書く |