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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村の不動明王堂】 前述の不動堂のところにある清水です。以前にはここでクレソンが栽培されていたのかもしれません。密生しているのは、クレソンです。クレソンがこうして密生しているということは、この清水が極めてきれいな水であることを示しています。 非常に興味深いことなのですが、この一帯の村々は『文禄三年蒲生家高目録』(1594)にはどの村の名前も記されていませんが、『寛文風土記』(1666)には名前が出てきています。そして当然のこととして、『新編会津風土記』(1809)にも載っています。 そして、この一帯にあるお寺のほとんどは「太子守宗」から真宗高田派に転宗したお寺です。このことは、『新編会津風土記』にも『会津藩家世実紀』にも載っています。つまり、保科正之公が会津藩主になられた時には、「太子守宗」の「寺」が建てられていたということになります。 1998年に会津のキリシタンを研究しはじめた頃には、「太子守宗」がキリシタンであると確信することが出来ませんでしたが、最近はキリシタンを隠すために「太子守宗」という言葉を作りだしたのであろうと考えています。そして、高遠史に関する文献や論文などを読んでいたら、この「太子守宗」という名前を考えたのは保科正之公かもしれないと思わされています。保科正之公はキリシタンを弾圧しないどころか、庇護されています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.05 15:07:13
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