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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある木地師の村跡】 これは会津のとある木地師の村跡に残っている墓地にあった石造物ですが、側面に「抜苦譽楽場」と彫られています。ここは墓地ですから、埋葬する前にここで何らかの宗教的儀式が行われていたのであろうと思われます。しかし、そうした習慣に関しては、『新編会津風土記』は沈黙しています。 ただ、非常に興味深い事例が、秋山牧之著、宮栄二校注『秋山紀行・夜職草』(平凡社、昭和46年、東京)に記されています。それは、長野県と新潟県に跨っている秋山郷では、お寺と関わりなく葬式が行われ、聖徳太子が描かれた掛け軸を棺にかざして引導を渡すという習慣です。この掛け軸に描かれているのは「黒駒太子」と言われている、黒い馬に跨った人物が空を飛んでいる絵です。 年に2回しか見ることが出来ないと別の本に書かれていたので、絵がどのようなものかを知ることが出来なかったのですが、『秋山紀行・夜職草』にその写真が載っていたので、確認することが出来ました。しかし、実に不思議なことなのですが、宗門人別制度が施行されるまでは仏教寺院は一般民衆の葬儀に関わっていませんでしたから、この掛け軸をかざして引導を渡すという宗教的行為が、どのような情況の中で発生したのかが気になって仕方がありません。 また、案内板に記されているこの村の名前が、『新編会津風土記』に記されている村名と異なっているのも気になります。同じ名前の沢が近くにあるのですが、その沢から命名されたにしては、距離がありすぎます。そして何よりも、「抜苦譽楽場」という言葉が気になります。そして、この墓地には転切支丹類族墓石が何基も残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.05 21:44:47
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