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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村の墓地にあった墓石】 これは会津のとある村の墓地にあった墓石です。「寶暦十一辛巳天」と天年号が彫られています。この村を最初に訪ねたのは、2001年でした。その時に、この墓地ではないところに不思議な墓石が並べられていたのが気になっていたので、2007年と2009年に訪ねています。 この天年号の彫られた墓石に出会って、「やはりそういうことか」と思わされました。というのは、この村には天正十九年(1591)の『蒲生家家臣帳』に載っている姓の家があるからです。『天正十九年蒲生家家臣帳』に名前が載っている武士は、「武士」と言うよりは「武将」と言った方がいい人物です。当然のこととして、家臣が何人もいました。そうした家臣団を引き連れて帰農したと思える村は、他にもあります。 こうしたことは、その村の方が一番よくご存じであろうと思われます。2009年にこの村を訪ねた時に、この村の方と少しお話をすることが出来たのですが、その時に得た感触では、蒲生軍団の武将とその家臣が帰農した村であろうと考えざるを得ませんでした。また、『天正十九年蒲生家家臣帳』はそうした意味では会津のキリシタンを考える時に非常に重要な史料になります。 ですから、関心のある方は是非、『天正十九年蒲生家家臣帳』をデータベース化して下さい。その作業は少し面倒ですが、様々なことを考えさせてくれます。ただ、「小姓」と言うのは事務方の仕事をしていた武士で、「馬廻」が軍事集団としての武士です。かなり以前に、「小姓」の意味を取り違えて、蒲生氏郷は男色だったと書かれていたサイトに出会いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.06 17:08:21
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