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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【稲の干し方】 上の写真は上田平の千曲川沿いで撮った写真です。真ん中の写真は伊那高遠で撮った写真です。下の写真は山形最上で撮った写真です。それぞれに稲の干し方が異なっているのですが、稲を干し方は毎年変わるわけではありません。上と真ん中の写真の干し方は最近になって変わった可能性があります。小生がキリシタンの研究をするために会津を巡り始めた頃は、この干し方が2段あるいは3段になっているものもありました。 そして、実に不思議なことに思えたのですが、同じ一帯で干し方が異なっていました。それで、地元の方にお伺いしたら、村毎ではなく、家毎に異なっていると教えて下さいました。会津のキリシタンの研究を始めるよりもしばらく前のことです。そして最近は、こうした自然乾燥をするのは自家用米だけになりつつあるようですし、高齢化が進んで、1段だけになったのであろうと思われます。 村毎ではなく、家毎に異なっているということが気になり続けていたのですが、会津のキリシタンの研究をしていたら、それが不思議なことではなくなりました。会津には様々なところから移住してきていることがはっきりしたからです。蒲生氏郷よりも前から会津にあった家々と蒲生氏郷やその家臣に付いてきた家臣団や加藤家の家臣団が帰農しているところへ、保科正之公と共に山形最上経由で会津に入って来た家々があるからです。 チャンスがあったら、稲刈りの頃に会津を一周してみたいと思っています。自家用米のために自然乾燥をしているお宅はそれほど少なくないだろうと思いますから、稲の干し方をじっくり見てくることが出来るだろうと思っています。何しろ、こうしたことは史料にはほとんど記されていません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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