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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【福島県中通り地方の金毘羅神社】 前述までの「金毘羅神社」の裏山にある階段を上っていったら、この「子安観音」石像がありました。背面には「嘉永元申年」と彫られています。嘉永元年は西暦1848年ですから、戊辰戦争の20年前です。この頃にもまだ、こうした石像が彫られていたことを示しています。 これを「子安観音」石像と書きましたが、髪型からすると観音菩薩でないことは明らかです。そして、この石像も子供を抱いているだけでなく、乳房が彫られています。ですから、聖母マリア像であることはほぼ間違いないと考えられます。 江戸時代末期にもこうした石像が彫られていたということは、まだキリシタンの信仰と習慣が消えていないということを意味しています。そして、明治・大正・昭和と時が流れ、平成になってもこうして残っています。中通り地方には、こうしたはっきりとしたキリシタンの痕跡が残っています。 歴史は記録からではその真実の姿を見付けることは出来ません。この台座は、本来のものではないと思われます。この石像がこの階段のところにあったものなのか、それとも別のところにあったものなのか。民家の庭に「子安観音」像が彫られた石塔が残っていたのですが、しばらく前に裏山の高いところに移動されたケースを、会津で確認したことがあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.13 13:34:42
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