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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとあるところに建てられている神社】 これは、去年の3月26日に初めて出会った神社です。「御札神社」と扁額に書かれていましたが、『新編会津風土記』に「御札神社」という神社はどの村にも記されていません。そして、『新編会津風土記』でこの神社の近くにあるとされている村は、その村名の特徴から、保科正之公が会津藩主になってから成立した村であろうと考えられます。 この「御札神社」の拝殿と裏にある幣殿の屋根には、伊那高遠にある守屋神社の拝殿の屋根にある千木と同じ形式の千木が取り付けられています。気になっていることがあるので、次回、会津へ行くときに、この周辺の村々でこの神社についてお伺いしてみたいと思っています。 また、この神社がある一帯からは、磐梯山がよく見えるだろうと思います。国土地理院の地形図からすると間違いなく見えますし、保科正之公の墳墓があるところだけでなく、土津神社があるところも見えるはずです。何しろ、旧高遠藩領内から3000人の農民が武士に取り立てられて、山形最上経由で会津に入って来ているのですから、伊那高遠のものが会津に残っていても不思議ではありません。 こうしたことを考える時に、高遠に残っている姓や会津に残っている姓を考えると、保科正之公以降の会津藩の対キリシタン政策がはっきりと見えてきます。そして、保科正之公と第二代保科会津藩主が松平姓を名乗らなかった本当の理由も見えてきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.14 09:55:12
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