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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村の墓地にある五輪塔】 この墓地を最初に訪ねたのは2001年でした。『文禄三年蒲生家高目録』では、会津ではキリシタンとして有名な岡越後守四郎右衛門左内の領地になっていましたので、それが気になって出掛けたのですが、案の定、気になる墓石が何基も残っていました。そして、ある一画に残っていた五輪塔を撮った写真です。 墓地整備が行われていたので、もしかしたら転切支丹類族の墓石は残っていないかもしれないと思っていたのですが、墓石が消えたとは思えないくらい古い墓石が残っていました。ここは純農村ではありません。岡越後(通称)の領地になっていただけの場所が現在も残っています。そして、『新編会津風土記』のまったく別の村に関する記録からすると、蒲生氏郷についてきたのであろうと考えられる姓のお宅も残っていることを、墓地の墓誌から知ることが出来ました。 保科正之公以来、会津藩では転切支丹移住開墾政策が行われています。このことは、『会津藩家世実紀』にその記録が残っています。ですから、蒲生氏郷の時代のキリシタンの家が、この村に移住していたとしても不思議ではありません。おそらく、そのお宅には伝承が残っているだろうと思います。一般的な歴史学では、そうした伝承は無視されてしまいますが、歴史研究はそうした伝承に関しても非常に大きな関心を寄せます。 そもそも、キリスト教の新約聖書の「福音書」はそうした伝承を集めたものです。ですから、マタイ・マルコ・ルカ福音書に同じような物語が載っているのですが、それが少しずつ異なっていますし、ヨハネはギリシア語を話すユダヤ人が記したことは間違いないと小生は考えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.14 10:57:47
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