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カテゴリ:キリシタン
【福島県中通り地方の「子安観音」石仏】 中通りから会津へ入るには、どこかの峠を越えなければなりません。これはその峠道が通っている村の観音堂の境内にあった「子安観音」石仏です。そして、この村に関しては、ここを訪ねる前からずっと気になっていました。それは、この村の名前です。小生は村名に関しては秘匿していますから、今回も書くことはしませんが、村名をお知りになったら、「そんな名前の村が本当にあるのか」と驚かれるだろうと思います。 こうした村名はここだけではありません。『新編会津風土記』をデータベース化し始めた時に、途轍もなく気になった村名があり、それを確かめるためにその村を訪ねた時に、地元の方の発音をお伺いして度肝を抜かれたことがありました。その村には、御神体が女神像であるとされている神社があり、出掛けてみたら「乙女神社」と書かれた扁額が鳥居に掲げられていました。 かなり以前にご紹介した薬師三尊が祀られている祠がある村の名前は漢字二文字なのですが、その二文字を音読みしていますが、二文字目を訓読みすると「祭壇」を意味することがあるラテン語になります。そして、薬師三尊の脇侍として祀られている観音菩薩像は乳児を抱いています。そして、その一帯を貫いている道路沿いには、「子安観音」石仏が村の入口に祀られている村が三つ、並んでいますし、別の村には聖徳太子堂が村の中に建てられています。 1998年以降、そうした情況に会津中で出会ってきましたし、墓石に彫られている文字や文字列が気になりはじめてからは、そうした気になる墓石にも出会い続けてきましたし、不思議な宝篋印塔に山の中の村の墓地で出会ってきました。そして、この観音堂にある墓地にも、気になる文字や文字列が彫られた墓石が残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.15 09:52:47
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