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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【福島県中通り地方の転切支丹類族墓石】 中通り地方のとあるお寺の墓地にあった墓石です。上段と中段の墓石には「一」で始まる戒名が彫られています。下段の墓石には上部に<○>が彫られています。そしてどれも2名分の戒名が彫られています。江戸時代の農村の墓石には、こうした2名分の戒名が彫られた墓石が数多く残っています。おそらく御夫妻の戒名であろうと思われます。 ただ、宗門人別制度が施行されて、死者に戒名が付けられ、葬式で僧侶が読経するようになった頃には、墓石には「一石一戒名」が原則でした。まして、男女の戒名が一つの墓石に彫られることは、極めて例外であったであろうと思われます。死者は葬式で戒を受けたので戒名が付けられているのですから、最早、夫婦では亡くなっているはずです。しかし、江戸時代の農家はそれほど豊かではありませんでしたから、御夫妻の戒名を一つの墓石に彫ったのであろうと思われます。 小生がまだ小学生だった頃、亡母の実家では、皆でリンゴ畑に出掛ける時でも玄関の鍵を内側からかけて、土間の台所の出入り口から出ていました。そして、その出入り口の戸は鍵をかけていませんでしたし、五右衛門風呂の焚き口への入口の戸に鍵があったかどうか記憶がありません。不思議の思って、家に帰ってから亡母に尋ねたら「農家はお金を家に置いていないから、鍵をかけなくても大丈夫」と教えられました。 江戸時代は尚更だったであろうと思われます。ですから、高齢者がいる家では、もしもの時のために米を蓄えていたようです。会津では、農家は今でも餅米を常備していて、親類に不幸があると赤飯を持っていかなければならないので、いつでも餅米を蓄えていると聞いています。「葬式に赤飯ですか?」と尋ねられたことがありますが、間違いなく赤飯です。但し、何故赤飯なのかに関する伝承は残っていないようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.15 16:07:31
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