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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【福島県中通り地方の「秋葉山」石塔と大黒天石像】 これも去年の4月23日に、東京へ荷物を運ぶ時に、中通りのとあるところで撮った写真です。「秋葉山」と彫られた石塔と大黒天石像がありました。ここは間違いなく会津藩領ではありません。にもかかわらず、伊那高遠の文化が伝わっています。やはり、会津のキリシタンと中通りのキリシタンの間に結びつきが起こっていたようです。これは、別のところでも考えさせられていますが、保科正之公が会津藩主になられて以降も、キリシタンがその信仰と習慣を守り続けていた証拠になるだろうと思います。 秋葉山に関しては、もう少し調べてみたいと思っていますし、一度秋葉神社を訪ねてみたいと思っています。以前に秋葉街道を車で走ってみましたが、高遠藩領内だけでなく、他のところでも不思議なモノに出会いました。春分の日が過ぎて、日が長くなったら秋葉街道を南部を訪ねてみたいと思っています。そして、会津にも「秋葉山」と彫られた石碑が建てられているところがありますから、当然のこととして、この「秋葉山」石塔も伊那高遠から伝わったモノであろうと思われます。 キリシタンの布教は非常に洗練された宣教師が、高度に研究された方法で行われていました。そして、宗門人別制度が施行されるまでは、日本の社会には組織化された宗教はありませんでした。勿論、多くの仏教寺院は一般民衆とは関係を持っていませんでした。ただ、親鸞系の諸宗派は一般民衆の中に入り込んでいましたが、葬儀や法事をしていたわけではありません。親鸞の教えを広めていただけです。 そして何よりも、こうした残されているモノから考えると、保科正之公は会津にキリシタンか残っていたことをご存じであったのであろうと思えてきます。そして、伊那高遠から山形最上経由で会津に移住してきた人々を、庇護し続けていたとしか思えません。『会津藩家世実紀』に、会津藩が藩内のキリシタンを弾圧したと言える記録は残っていません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.17 17:46:48
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