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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【福島県中通り地方の転切支丹類族墓石】 もうかなり以前から気になっていた中通りのとある一帯があったのですが、去年の4月23日にとある方に案内していただくことが出来ました。そして、とある村の墓地を訪ねたのですが、この墓地には古い墓石しか残っていませんでした。これはその中の一基です。上部に<○>が彫られています。司東真雄師の著書では、この<○>が彫られている墓石も「切支丹墓石」であるとされています。 こうした墓石に出会って、小生が考えていたことを確認することが出来ました。キリシタンに関して、様々なことが言われているのですが、江戸時代のどの史料にそれが載っているかが記されていないケースが少なくありません。ですから、こうしてフィールドワークで確かめる以外に確認する方法がありません。 会津には、『天正十九年蒲生家家臣帳』『文禄三年蒲生家高目録』『寛文風土記』『会津鑑』『新編会津風土記』『会津藩家世実紀』などがありますから、かなりのことを知ることが出来ますが、会津以外のところではそうした史料が出版されているケースは少ないです。中通りの史料は二本松藩に残っていたのかもしれませんが、出版されているものはまだ見たことがありません。 江戸時代に中通りの中心は二本松でした。郡山は宿場町でした。そして、白河の関する史料もほとんど残っていないようで、小峰城趾の案内板に記されているもの程度しか目にしたことがありません。ただ、あの小峰城趾の石垣は、明治になってから積み直されたところがあると、以前に行われた歴史に関する講習会で話されていたと教えて下さった方がいらっしゃいました。それをお伺いして、小峰城趾の石垣が東日本大震災で崩れたことを納得することが出来ました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.18 19:27:46
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