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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【福島県中通り地方の不思議な神社】 前回の墓石がある村からそれほど離れていない村にある「熊野神社」ですが、参道の階段の途中の右側にこれらの3体の石仏が祀られています。1枚目の写真でも、その場所をお判り頂けるだろうと思います。ただ、3体とも観音菩薩が彫られているように思えます。 そして、何故、これらの観音菩薩石仏が熊野神社の参道脇に祀られているのかが、非常に気になって仕方がありません。村の神社は島根県八束郡八雲村にある神社なのですが、祭神は素戔嗚尊です。また、会津では慶長十六年(1611)に起きた直下型の会津大地震のあと、熊野神社がとある村に勧進されているのですが、その一帯にも不思議なものが沢山残っています。 「鳥居があるから神道だ」と考えられることが多いのですが、こうした熊野神社自体が気になっています。慶長十六年の会津藩主は蒲生氏郷の息子の蒲生秀行でした。蒲生氏郷が洗礼を受けたときには既に、この蒲生秀行は生まれています。このことに関しては、蒲生秀行に関しては史料がほとんどないので、史料から考えることは出来ませんが、蒲生秀行が会津藩主だった時に筆頭仕置奉行だった人物の奇行が『新編会津風土記』に残っています。 この人物は、小生が手に入れることが出来たその人物の書状を時系列で並べ替えると、幕府の初代大目付兼宗門改役だった人物である可能性が高いと考えられますし、あの時代に筆頭仕置奉行が書いたとすれば、非常に奇妙な書状の全文が『新編会津風土記』に残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.19 06:52:38
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