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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【「子安観音」考】 昨日ここでご紹介した「子安観音」像を別のカメラで撮った写真です。日本では、いつの頃からかこうした子供を抱いた観音菩薩像を「子安観音」と呼ぶようになりました。しかし、『儀軌』という仏教の法則、儀範、儀法が記されている経典に、「子安観音」という観音菩薩は記されていません。そして、「子安観音」の始まりは、マテオ・リッチという宣教師が、切支丹禁制下にある日本人のキリシタンの為に、中国の海沿いの町で磁器製の像を作らせ、それを日本国内に送ったことだとされています。ネット上で<マテオリッチ 子安観音>で検索するとその磁器製の「子安観音」像の写真を見ることが出来ます。 そもそも中国の『儀軌』に記されていない像を仏像であるとするのはかなり無理があるだろうと小生は考えています。しかも、この写真に写っている「子安観音」像には乳房があります。確実に菩薩ではありません。菩薩は性を超克した存在です。男でも女でもありません。ですから、この「子安観音」像の写真をご覧になった、とあるお寺のご住職が「これは仏(ブツ)ではない」とおっしゃったのも納得できます。 勿論、こうした像が神社の御神体であるとしたら、そこは神社ではありません。神社の御神体が像であるということは考えられませんし、また、神道には「教理」と呼べるようなものはありません。神官がどのように拝礼するかは、それぞれの神社が継承してきました。また、一般民衆の拝礼の仕方は一般に、「二礼二拍手一礼」とされていますが、この習慣はどの神社でも同じではありません。 小生ももう20年ほど生まれるのが遅かったら、神道をじっくり研究してみたいと思っています。日本の歴史を考える時に、神道を無視して考えることは難しいだろうと思っています。また、神社が葬儀を執り行うようになったのは、ある神道学者の先生からお伺いしたのですが、かなり最近のことのようで、保科正之公が亡くなられた寛文期末には、神道は葬式をしていないとおっしゃっていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.22 10:44:28
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