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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【江戸郊外の不思議な青面金剛石仏と「庚申塔」碑】 前回ご紹介した墓石石仏がある院から、小生でも歩いていけるほどの距離にある神社の参道入口付近にあった青面金剛石仏と「庚申塔」と彫られた石碑です。これが神社の参道入り口付近ではないところにあっても、本来の庚申塔の形式とは異なっていますから、気にならざるを得ないのですが、それ以上に、この「庚申塔」碑の右側の面には「萬延元庚申歳 九月庚申日」と彫られているのが非常に気になります。 庚申のマツリは、庚申の日のマツリであって庚申の年のマツリではありません。そして、ここでもかなりの数の、伊那谷にある庚申の年に建てられた「庚申」碑をご紹介してきました。旧高遠藩領内でも同じです。小さな村の入口にも庚申の年に建てられた「庚申」碑があります。そして、庚申の年は60年に一度めぐって来ますから、庚申の年が来るたびにその習慣を守っていたことを、残されている「庚申」碑から知ることが出来ます。 「庚申の日には青面金剛を祀る」ということで、この疑問を解決しようとしても、ここは神社の参道入口です。そして、青面金剛石仏の台座には、ここが分岐点であることを示す文字が彫られているのですが、右へ行くと観音堂が本堂になっている臨済宗のお寺がある村へ行くことが出来るようです。あのお寺の境内にも「百庚申」が残っています。 最後に、もう一つ不思議なことを記しておきます。ある有名なお寺の墓地に、大奥の女性の墓石が多数建てられているのですが、それらの墓石の多くは比較的大きな宝篋印塔です。そして、境内には不思議なものが残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.23 17:07:03
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