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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある愛宕神社】 これは、会津のとある村の近くにある山の頂に建てられている愛宕神社の中を撮った写真です。国土地理院の地形図に愛宕神社と記されていたので、気になって出掛けました。2003年5月のことでした。この神社まで車で上がっていくことは出来ません。途中の峠のところに車を止めて、そこから歩いて上らなければならないのですが、朝、何も食べずにカメラと地図だけ持って出掛けたので、上りがきつかったのを憶えています。 この愛宕神社にも、不思議な燭台がありました。建物は神社様式ではありません。小屋のような建物ですが、正面には「愛宕大神」と書かれた木製の御札が祀られていて、その手前に弊が二つ置かれています。それで、峠の両側にある二つの村を巡ってみたのですが、何しろどちらの村の名前も、平仮名で表記すると非常に気になる名前の村です。 会津の史料をデータベース化していた時に気が付いていたので、それもあって出掛けたのですが、標高が低い方の村には田圃があるのですが、標高が高い方の村には田圃が見当たりませんでした。そして、帰り道で不思議な石塔があったので写真を撮ってきたのですが、今になってみれば、意味がよく見えています。 保科正之公が高遠から3000人の農民を武士に取り立てて、山形最上経由で会津に連れてこられた理由も、こうしたことを考えるとはっきりしてきます。この二つの村の名前は、『文禄三年蒲生家高目録』にも『寛文風土記』にも『会津鑑』にも載っていません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.20 16:42:24
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