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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村の墓地にあった墓石】 こらはまた別の村の墓地にあった墓石です。どちらにも「天」年号が彫られていますが、この墓石がある周辺には、「天」年号が彫られた墓石が多数残っています。この村を最初に訪ねたのは2004年8月10日でしたが、墓地がどこにあるか判らなかったので、9月26日にもう一度訪ねました。 道に村の方がいらっしゃったので、少しお話をお伺いして、墓地の場所をお伺いしてやって来ました。ただ、この墓地の広さや高低差などを考えると、かつてはここに何らかの建物があったように思えます。また、史料のデータベースからすると、この村も保科正之公が会津藩主になられてから成立した村のようです。 伊那高遠を何回も訪ねているうちに、あることに気が付かされましたが、この村も保科正之公と共に伊那高遠から山形最上経由で会津に入って来た家々によって成立した村であろうと思われます。そして、それを考えさせられる伊那高遠の村にも、道路脇に気になるものが残っています。 それだけではありません。この村から沢を上っていくと、また別の村があるのですが、そこに観音堂が建てられています。しかし、その村にあったお寺は浄土宗のお寺です。念仏系のお寺の檀家になっている村に、何故、観音堂が建てられているのでしょう。実に不思議なことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.21 09:45:09
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