|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【秩父の金昌寺】 これは2007年5月4日に、金昌寺を最初に訪ねた時に撮ったです。写っているのは、金昌寺の山門です。そして、入口に大きな草鞋が二つ、掛けられていました。一昨日、ここを訪ねた時にも、大きな草鞋が2つ、同じように掛けられていました。皆さんは、こうした大きな草鞋が何を意味しているとお考えになられるでしょうか。 会津にも大きな草鞋が山門に掛けられているところがあります。しかし、こうした草鞋が掛けられているところには、キリシタンのはっきりとした痕跡が残っています。会津のとある阿弥陀堂の産門にも掛けられているのですが、その阿弥陀堂には不思議な習慣が現在も残っています。亡くなった方々の髪の毛や爪などを納めた、小さな木製五輪塔が奉納されるのですが、非常に多くの木製五輪塔が残っていて、調査報告書に記されている一番古い木製五輪塔は、蒲生氏郷が会津の領主だった時代のものです。 勿論、その時代にはお寺はまだ葬式をしていません。かなり以前からこのことが気になっていたので、今までに何回もその阿弥陀堂を訪ねています。境内にはかなり大きな宝篋印塔が建てられていて、山の斜面には、かつては別のところに建てられていた五輪塔が運ばれてきていて、かなりの数の五輪塔が残っています。それらの五輪塔は、伊達政宗が会津へ侵攻した時に戦死した武士の墓石だとされていて、以前はその阿弥陀堂から東側の一帯に点在していたものだそうです。 伊達政宗が会津へ侵攻してきた時の会津の領主は葦名氏です。葦名氏の時代にキリシタンが会津に入って来ていると考えられるのは、こうした五輪塔が墓石として建てられているからです。あの時代、仏教寺院は葬式をしていませんし、お寺に墓地もなかったと考えられます。因みに、室町時代の年号が彫られた墓石はまったくと言っていいほど残っていません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.29 10:22:56
コメント(0) | コメントを書く |