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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の宝篋印塔】 あのとある村の墓地にあった宝篋印塔です。この村にはお寺があるのですが、そのお寺の宗旨は真宗高田派です。会津の真宗高田派のお寺はすべて、「太子守宗」から転宗したお寺です。これに関しては、史料が残っていますし、本山の伊勢専修寺にも記録が残っていると、当該市町村が発刊した冊子に載っています。 そして、この村は明らかに帰農した土豪とその家臣団であろうと考えられます。最初にここを訪ねたのは1998年でしたが、その後、会津の資料をデータベース化した時に、様々なことに気が付かされたのですが、最終的には、この村の方がおっしゃっていたことをそれを直接聞いた人から教えてもらった時でした。 この村にいた土豪は、明らかに昨日した蒲生家の家臣になっています。会津には、室町時代以前にも武士集団がありました。これに関しては何冊かの本が出版されています。その中の一冊には、蒲生氏郷が会津の領主になった時に、蒲生氏郷に仕えた集団と、仕えなかった集団がいたことが記されています。その本に書かれていることは、『四家合全』という非常に興味深い史料の写本をすべて集めて、それをデータベース化したら見えてくるだろうと思っています。 武士は若松城下に住んでいたとは限りません。葦名家が会津の領主だった時代に、江戸時代の若松城下だった一帯がどのようになっていたかを示す史料や絵図はまだ見たことがありません。葦名家が会津の領主だった時代には、会津盆地や天領南山御蔵入あるいは現在の新潟県阿賀町にそれぞれの土豪がいたことが判っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.01 16:00:39
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