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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「庚申」碑など】 これは去年の4月に東京へ引っ越すときに撮った写真です。右上の高いところには村の墓地があります。ここには「庚申と彫られた石碑や「道祖神」と彫られた石碑、あるいは「湯殿山」と彫られた石碑がありますが、左後ろに石灯籠型六地蔵が建てられています。 会津にはこうした石碑や六地蔵が集められているケースはそれほど多くはありませんが、しかし、この石碑群を再確認して、会津のキリシタン史の大きな特徴を再確認することが出来ました。年号が彫られているものはすべて、保科松平家が会津藩主になってからの年号です。 それだけではありません。旧高遠藩領内を巡ると多くの村々にこうした石碑が残っているのに気が付かされます。「旧高遠藩領内」というのは、保科正之公が高遠藩主だった時代に、高遠藩領内だった一帯です。現在の市町村名でいうと、松本平南西部の一帯から辰野・箕輪・伊那市・駒ヶ根市・宮田村です。そして、伊那谷南部の村々にも同じような石碑が並べられているところがあります。 そして、何回もここで記しましたが、旧高遠藩領内の「庚申」碑や「甲子」碑はそれぞれ庚申の年に、「甲子」碑は甲子の年に建てられたものが圧倒的に多いです。そして、そこには「双体道祖神」も集められているのですが、そうした「双体道祖神」に中には不思議なものが少なくありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.02 07:31:18
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