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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【伊那高遠のとある城跡】 もうしばらく前に、ネット上で旧高遠藩領内の城跡の一覧を見付けました。それを早速、データベースにして、参考史料として使っていますが、このツツジに包まれているところも間違いなく城跡です。村の中を流れていた川が氾濫することがあるので、現在はその部分が切り通しになっていますが、後ろの山から続いていた尾根に築かれた山城です。 保科家が高遠藩主になるまでは、この一帯を支配していた土豪が築いた城であろうと思われますが、この城の最後の城主は保科正之公と共に山形最上経由で会津に移住してきていますし、おそらくその家臣団も移住しているであろうと思われます。 この写真を撮ったのは2010年5月22日に撮りましたが、それまでに何回もこの村を訪ねてきました。非常に興味深いものがいくつも残っているからで、それらの写真を時々、見返すことがあります。また、伊那高遠にはこうした土豪の城跡がいくつも残っています。そしてそうした土豪の主は、会津へ来てからも、保科正之公の重臣でした。 『八重の桜』に出てきた重臣たちの先祖も、保科正光が高遠藩主になる以前から、高遠にいたのであろうと考えられます。そして、そうした家臣たちは、すべての判断基準を保科正之公に求めていました。そうした意味では、江戸時代の会津藩では、たおやかな時が流れていたのであろうと考えられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.03 09:50:28
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