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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の臨済宗のお寺の裏山にある三十三観音】 前述した旧高遠藩領内の臨済宗のお寺の裏山に並べられている三十三観音の「十二番」です。右手で捧持している鉾の先端が、逆さ十字になっています。これが「十二番」ですから、非常に気にならざるを得ません。そして、合掌している両手の下に子供が彫られているように見えます。 江戸時代だけでなく、明治以降も、医学が進歩するまでは女性にとって妊娠・出産・育児は命がけの仕事でした。医学が発達するまでは、子供が出来ないのはすべて女性に問題があるとされていました。そして、母乳が出るか出ないかも大きな悩みの一つでした。都会地ではあまりなかったようですが、地方では母乳が沢山出るご婦人が他の家の乳児に授乳することはよくあったと聞いています。勿論、粉ミルクなどない時代です。 そして、福音書の中にも、聖母マリアに対する女性たちの想いが並々ならぬものであったことを示している個所があります。ですから、こうした聖母マリア像が農村部のお寺にあっても不思議ではないのですが、おそらく、お寺が無住だった時代に、村人たちによって三十三観音が並べられたのかもしれません。 ただ、一つ気になることは、お寺の参道を上がっていくと、道路脇に棕櫚の木があることです。棕櫚の木はキリスト教では特別な意味を持っています。そして、受難週には棕櫚の葉を使って十字架を作る習慣があった教派もあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.04 17:05:05
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