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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の転切支丹本人同前の僧侶】 この「直指丹瑞」と彫られている戒名の僧は、切支丹本人同前だった人物です。この丹瑞に関しては、伊那谷の方が少し詳しく書かれたサイトがありますから、<切支丹本人同前 僧侶 丹瑞>で検索して下さい。その方のホームページを読むことが出来ます。2007年にキリシタンの研究のために最初に伊那谷を訪ねる前に、ネットで検索して、この丹瑞という僧侶のことを知り、同年8月28日にこの墓石があるお寺を訪ねました。 「切支丹本人同前」というのは、キリシタンが発覚して捕らえられた時に既に生まれていた子供を指します。勿論これはキリシタンの側で定められたことではなく、幕府による一連の対キリシタン政策の中で定められたことです。理由に関して書かれている文献に出会ったことがありませんが、キリシタンは子供が生まれると比較的早い時に洗礼を授けていました。 この洗礼に関しては、ローマ・カトリック教会では「緊急洗礼」という授け方があって、1.綺麗な真水が使われること。2.「父と子と聖霊の御名によって」というラテン語が正確に唱えられたこと、3.そこに集まっている人々に中に、それが本物の洗礼であるという共通理解があったこと、これらの3つの条件が整っていれば、後にローマ・カトリック教会がそれを追認することが行われていました。非常に興味深いことですが、授ける人に関する条件がありません。 これは、「なされたわざから」というキリスト教の基本的教理に由来するのであろうと小生は考えています。ですから、大洋を航海する船の中で死に臨んだ人が洗礼を受けることを申し出たときに、聖職者が乗船していなければ、船長が洗礼を授けたと聞いていますし、船長室には真水が保存されていたそうです。船は揺れますから、真水でも簡単には腐敗しません。丹瑞はこの緊急洗礼を受けていたのであろうと考えられますが、あの時代に伊那高遠に宣教師がいた可能性を否定できません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.10 17:19:48
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