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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【高遠城趾の本丸跡にある手水鉢】 これは高遠城趾の本丸跡に残っている手水鉢です。船の形をしていますが、不思議なことに、水抜き穴が空けられています。この写真は2009年5月18日に撮った写真ですが、2007年8月27日に最初に訪れた時に気が付きました。 神社にある手水鉢には、水抜き穴は空けられていません。きれいな水を流し込んで溢れさせるのが手水鉢の浄化の原理です。比重が1未満のものはあふれ出る水と一緒に外に出ますし、比重が1を超えるものは底に沈みます。そして、内側を掃除する時には水をくみ出して、中を綺麗な布で拭きます。気になる方は、神社にある手水鉢をじっくり見てきて下さい。会津にはこうした手水鉢が数多く残っています。神社よりも、お堂の境内に残っていることが多いのですが、それらの一部はここでもご紹介してきました。 そして、この手水鉢に出会った後で、絵島のことを知り、絵島の処遇に関する伺い書を、絵島屋敷跡に建てられている案内板を読んで知りました。内藤家は、絵島の処遇に関してかなり気を使っています。そして、それに関する幕府の回答も記されているのですが、文面を読み進めると、幕府も気を使っていることが判ります。案内板に書かれている文書に関しては、その全文をここでご紹介したことがありますが、コピーしていらっしゃらない方で、再読されたい方は、文末に記すアドレスにメールをお送り下されば、返信メールにテキストファイルを添付してお送りします。 ただ、今日は所用で出掛けて、帰ってくるのは夕方になりますので、メールをお送り出来るのは、夜になってからになります。内藤家が非常に気になっています。それは、この手水鉢に最初に出会って以降、現在も続いています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.11 08:06:30
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