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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の不思議な村】 これは、現在は新潟県になっている一帯のとある村で撮った写真です。山路を上がっていくとお堂が建てられていて、そこにこの十一面観音が祀られていましたが、そこへ上がっていく途中、山路から少し林の中に入ったところに「清銀太郎貞永」と彫られた墓石が建てられていて、側面には「建仁二年壬戌四月二日」と彫られていました。そして、『新編会津風土記』にはこの墓石のことが記されていますが、建仁二年は1202年ですから、一般民衆の間には墓石を建てる習慣はありません。 ただ、この墓石に彫られた文字列の最初の「清」はこの人物の姓であろうと思われます。そして、この「清」の下に漢字を一つ加えた姓の家は、保科正之公と共に山形最上から会津に入って来た家だということが、この村から少し離れた村の記述の中にあります。そして、この村には、その一文字加えた姓の家しかありません。墓地でお会いした村の方にお伺いしました。 保科正之公と共に山形最上から会津に入って来た家々の中には、伊那高遠からでなく、山形最上から移住してきた家々もあるということになるのですが、もう何年も前に会津のとある村にあるお堂の境内にあるとあるお宅の墓誌に彫られた文を読んで、その可能性を感じていました。 そして、伊那高遠から山形最上経由で会津に入って来た家と山形最上から会津に入って来た家との間に、姻戚関係が発生していますが、それぞれの村はかなり離れています。しかし、こうしたことはその例だけでなく、他にも同じような例があるのですが、そのケースも明らかにキリシタン同士で姻戚関係が結ばれていて、それも明治以降のことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.17 16:50:15
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