|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村の墓地にある十字墓】 これは以前から探していた十字墓で、山内強『会津のキリシタン』に写真が載っている十字墓であろうと思います。この村に関する『新編会津風土記』の記録では、この村には浄土宗のお寺が2ヶ寺あるとなっているのですが、現在は1ヶ寺しかありません。村の一番奥の高いところにあるお寺は残っていますが、村の一番下のお寺は廃寺になってしまったようです。そして、この村の一番高いところにあるお寺にも不思議な石祠が何基も残っています。 2009年7月20日に、ある方々と一緒にそのお寺を訪ねたのですが、この十字墓は訪ねませんでした。小生は、この墓地と村の一番高いところにあるお寺は1998年に訪ねていたので、この十字墓が高いところにあるお寺ではなく、墓地にあることを知っていました。皆さんがここではなく、村の高いところにあるお寺に行かれたので、小生もそこへ上がっていったのですが、この写真に写っている十字墓を撮り直してくることが出来ませんでした。 この廃寺になってしまったお寺のことが気になっています。現在も残っているお寺の本山とは本山が異なります。高いところにあるお寺の本山と、廃寺になってしまったお寺の本山はどちらも浄土宗のお寺なのですが、若松城下にあったお寺なのですが、廃寺になってしまったお寺の本山は、現在は小さな建物が建てられていて、その中に仏像が祀られているだけです。そして、そのお寺があった町には、蒲生秀行の時代の仕置奉行だった人物の名前が付けられています。 会津のキリシタン史で、非常に気になる人物です。城下の大店のご婦人たちが秀行に贈り物をしたのですが、それに対する礼状をその仕置奉行が認めているのですが、優秀な人物と言われながら、その礼状はすべて平仮名で記されています。これは、『新編会津風土記』に全文が載っているので読むことが出来ます。それで、この人物が記した書簡で、原文が確認出来るものを時系列に並べてみると、徐々に漢文体に変化していることが判ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.20 15:53:50
コメント(0) | コメントを書く |