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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村のお寺にある不思議なもの】 前回ご紹介した村の、一番高いところにあるお寺の境内にお堂が建てられていたのですが、何が祀られているかは判りませんでした。ただ、『新編会津風土記』には「千体の地蔵の古仏 寛文の頃まで猶七百余体ありしと云」(雄山閣版より引用)と記されています。このお寺は浄土宗のお寺です。ですから、「七百余体」の地蔵菩薩の古仏が寛文期に残っていたということが不思議でなりません。そして『新編会津風土記』の記述からすると、初めは「千体の地蔵の古仏」があったとされています。 そして、林の中には不思議な石祠が多数残っていました。風化程度からすると、それほど以前のものではなさそうです。念仏系の宗旨で観音菩薩や地蔵菩薩を祀ることは考えられません。「同じ仏教だから」と言えないことは、ここで何回もご説明してきました。念仏系の宗旨の仏僧が、「般若心経」を唱えることが戦後の日本では起きていますが、江戸時代の浄土宗の仏僧が「般若心経」を唱えたとは到底考えられません。 仏教の宗旨間の相異は、キリスト教の教派間の相異とはかなり異なっています。浄土宗の中心は念仏をただひたすら唱えることです。観音菩薩や地蔵菩薩を崇敬するという教理が江戸時代にあったとは到底考えられません。ですから、『新編会津風土記』に千体の地蔵菩薩像があったと記されているのは理解不能です。 同じように、禅宗の僧侶が「南無阿弥陀仏」と唱えることも有り得ませんし、禅宗のお寺に観音菩薩や地蔵菩薩が祀られていることも考えられません。しかし、会津では、そうしたことをよく見かけます。また、旧高遠藩領内でも曹洞宗のお寺の参道脇に広いところがあって、そこに三十三観音石仏が並べられているところがあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.20 16:33:24
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