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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【甲斐の不思議な宝篋印塔群】 2012年3月25日に、その後、あるところで集まりがあるとお伺いしたので、甲斐のその周辺を所長とあらかじめ巡ってみました。これはその時に、とある臨済宗のお寺にあった「武田信満の墓」と案内板に記されている宝篋印塔群を撮った写真です。 案内板には「応永二十四年(千四百十七年)二月六日」に亡くなった人物の墓ということになるのですが、この時代にはまだ、宗門人別制度は影も形もありません。また、一般に臨済宗のお寺は少ないのですが、これは宗門人別制度に対して臨済宗は積極的ではなかったからだとされています。そして、宗門人別制度施行されるよりも100年以上前に墓石がお寺の境内に建てられたということも実に不思議なことです。 会津にも不思議な宝篋印塔が2基あります。そのうちの1基は『平家物語』に出てくる人物の墓だとされていますが(『新編会津風土記』)、『平家物語』の原本が書かれたのは、13世紀前半だとされています。実に興味深いことなのですが、『新編会津風土記』はこうしたことに関して、還俗として検証していません。寛文期の寺社改めの時に、寺社から提出された文書をそのまま記していると、『新編会津風土記』の凡例にしるされています。 また、もう1基の宝篋印塔に関しては、保科正之公の命で山崎闇斉が書いた文が、大きな四角柱の石塔に彫られていて、その内容が『新編会津風土記』に載っていますが、これに関しても、その内容に異論を唱えている歴史研究者がいらっしゃいました。非常に興味深いことなので、一度じっくりと検証してみたいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.30 16:47:47
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