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カテゴリ:キリシタン
【会津の転切支丹類族墓石】 上の写真は2001年にネガフィルムで撮った写真です。会津のとある山の中にある村の墓地で出会いました。この頃はまだ、司東真雄師の著書を手に入れていなかったので、「一」で始まる戒名は転切支丹類族の戒名であることを知りませんでしたが、非常に気になったので写真を撮ってきました。 そして、この墓石に彫られた「一」の意味を知って、2010年に同じ墓地を訪ねて撮ったのが下の写真です。墓地整備が行われたらしく、古い墓石が一ヶ所に集められていました。また、この一帯には非常に気になる村があるので、2003年にはこの一帯の村々を丹念に巡ってきています。この気になっている村のことは、拙著にも記していますが、この一帯にお住まいの方々は、その不思議なことの意味をご存じなのであろうと思っています。 その村には観音堂があったのですが、現在は取り壊されていて、集会所に祀られています。但し、外からもお参りできるように、ガラス戸のすぐ内側に祀られています。それでいて、墓地には神道霊名が彫られた墓石がありました。会津では、宗門人別制度が施行された時に、寺請ではなく神道請になることが許可されていました。そして、武士の場合、この神道請になっていたケースがかなり多かったので、事務手続きの簡略化をした記録が『会津藩家世実紀』に残っています。 それだけではありません。この不思議な出来事に関して、当該市町村史に古文書が載っているのですが、村役人もキリシタンであったと考えられます。あの市町村史も手に入れて、かなりじっくり精査したことがありました。そして、ある神道研究家の先生から、その時代にはまだ、神道は葬儀を執り行っていないことをお伺いし、不思議な出来事がキリシタンに纏わることだということを確信することが出来ました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.31 07:50:03
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