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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【武蔵国で出会った不思議な墓石・石仏・お堂】 これは前述までの一帯にある別のお寺の境内で撮った写真です。上の写真の墓石には、最下部に「位」と彫られています。そして、そうした墓石や五輪塔が集められているところに、胴の部分で切断された地蔵菩薩石仏がありました。「廃仏毀釈」運動がこの一帯にも広がっていたのであろうと思われますが、キリシタンの痕跡が残っているところに首無し地蔵が残っていることは少なくありません。 そして、このお寺の境内にお堂が建てられていたのですが、「弁財天」と書かれた扁額が掲げられていました。不思議なことです。ここは、上の写真に彫られた戒名からも判るのですが、時宗のお寺です。一遍上人によって開宗された、浄土教の一つです。それでお堂の中を覗いたのですが、厨子の扉は閉まっていました。 この一帯には、明治時代にローマ・カトリック教会が建てられていますが、現在は他の場所に移転されていました。そして、この一帯にローマ・カトリック教会があることは、40年余り前から知っていました。それだけではありません。小生が学部の学生だった頃には、この一帯にあるとある民家から、非常に興味深いものが発見されて、多くの学者がそれに関して論じていますが、小生はその発見された文書に書かれている内容からすると、幕末まで隠れていたキリシタンがいたようにも思えます。これは、いつか自分でその文書を解析してみたいと思っています。 江戸時代には、江戸市中から東京都の西部までの一帯に、キリシタンがいたことは間違いありません。特に、埼玉県を含む関東ローム層上の地域には間違いなく転切支丹類族墓石が残っています。それも、江戸時代には天領だったところにも、キリシタンの痕跡が残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.06.03 21:21:49
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