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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村に建てられているお堂の「子安観音」像】 これは、前述した村とはだいぶ離れている村の中に建てられているお堂に祀られている「子安観音」像です。このお堂のことは『新編会津風土記』(1809)には載っていませんが、『文禄三年蒲生家高目録』(1594)にはこの村の名前が出てきています。つまり、1594年にはこの村は成立していたということになります。 ですから、『新編会津風土記』にこのお堂のことが記されていないことが不思議に思えていたのですが、会津のキリシタン史を研究してきた過程で、『新編会津風土記』の編纂者が書き漏らした訳ではなく、寛文期の寺社改めに時に、調査文書を書いた人が意図的に書かなかった可能性が高いと考えるようになりました。 『新編会津風土記』の寺社に関する記述は、寛文期の寺社改めの時に提出された文書をそのまま掲載していると、『新編会津風土記』自身の凡例に記されています。ただ、数ヶ所ですが、疑問があると書かれているところがありますが、一番の疑問は寺社の開基年代に関して「詳ならず」と記されていることが多いことです。寛永8年に幕府から出された「新寺建立禁止令」以前に建てられたお寺でなければ、宗門人別制度上の檀那寺にはなることが出来ませんでした。 そして、『新編会津風土記』は寺社の開基に関して、それを確かめていません。寛文期の寺社改めの時に提出された文書をそのまま書き写しているということはそういうことだと小生は考えていますし、凡例を読む範囲ではそう考えることが出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.06.19 17:31:51
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