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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【宮城県北部の転切支丹類族墓石】 先々週に訪ねた宮城県北部の、殉教者の遺跡の近くにあった墓石です。明らかに、転切支丹類族の墓石です。こうした転切支丹を仏教に転宗したと断定できるだけの史料に出会ったことがありません。彼らは、幕府が一方的に定めた宗門人別制度に組み込まれたに過ぎないと小生は考えています。 洗礼を受けた時に覚えたオラショ(祈りの定形文)を忘れ去ることが出来たとは、到底考えられません。ただ、明治期以降に隠れていたキリシタンたちが発見されて、ローマ・カトリック教会に戻った時に、「転切支丹類族」という身分を消すことが出来なかったので、深い悲しみのうちにオラショを唱えなくなったのかもしれません。 小生はそうした転切支丹類族にされながらも、秘かにオラショを唱えていた方々のことが気になって仕方がありません。現代の近代国家の社会倫理からすれば、宗門人別制度そのものが極めて凄惨な個人の信仰の否定です。そしてそれに近いことが、日本では明治以降にも起こっています。法令上は認められていたキリスト教を、時の政府が弾圧の対象にしていました。 そして、明治初期に考え出された「天皇制」が、日本全国に広がりました。それだけではありません。日本は神道国家であるようにさえ考えられてしまいました。そうした時の流れの中で、太平洋戦争の時代を越えて、キリシタンの信仰と習慣を継承していた人々がいたことは、長崎県に残っていた「カクレキリシタン」から明らかになっています。こうしたことを考えると、日本は、近代市民社会とは何かということをもう一度確認する必要があると思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.06.22 16:42:23
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