|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村にある「二十三夜塔」と不思議な五輪塔】 これは2000年に会津のとある村で撮った写真です。上の石塔には「二十三夜塔」と彫られています。そして、弘化二年は1845年です。戊辰戦争の23年前ですが、この村の墓地に下の写真に写っている五輪塔がありました。この五輪塔の火輪には宝篋印塔の傘の名残が残っています。 会津では、帰農した武士の墓石として五輪塔が建てられているように見えますが、この五輪塔などはその典型であろうと小生は考えています。蒲生家の家臣団にも、加藤家の家臣団にも、そして保科家の家臣団にもキリシタンがいたことは、『会津藩家世実紀』の記録から判ります。そして、蒲生家が断絶した後に加藤家に仕え、加藤家が改易された後に保科家に仕えた武家があったことは、その家に残っている伝承から判ります。そうした家々の中には、戊辰戦争の時まで、鶴ヶ城の外堀の内側に屋敷を構えていた家もありました。 そして、そうした家々に重要な史料が残っていたケースもあります。このことを知ったのはもうかなり以前なのですが、何故山の中の村にそうした史料が残っていたのか、非常に訝しく思っていたのですが、保科正之公と共に高遠から山形最上経由で会津に入って来た家々であると考えれば、戊辰戦争の時に、城にあった史料を緊急避難させたと考えれば解決できます。そうした村々も何回か訪ねてきましたが、キリシタンの痕跡が残っていました。 会津に『四家合全』という興味深い史料があります。『四家合考』という史料は会津藩が編纂したものなのですが、『四家合全』は写本が無数にあって、写本毎に内容が少しずつ異なっています。会津の写本をすべて集めて、それらをデータベース化したら、きっと何かが見えてくるだろうと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.06.26 18:35:51
コメント(0) | コメントを書く |