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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の六地蔵】 これは以前にもご紹介したことのある写真ですが、会津のとある村の墓地の入口に建てられていた石灯籠型六地蔵です。2枚目の写真に写っているように、冬期間にはまったく雪に埋もれてしまいます。そして三枚目の写真はこの六地蔵がある村の隣の墓地を冬期間に撮った写真です。江戸時代に建てられた小さな墓石は、すべて雪の下に隠れてしまいます。 こうした石灯籠型六地蔵は、どの村にでもあるわけではありませんが、会津藩領内や天領南山御蔵入に広く分布しています。この村々が属している市町村には、『新編会津風土記』にはまったく記されていない木地師の村の跡が残っているので、車で入れるところは訪ねてみましたが、それなりに不思議なモノが残っていましたし、当該市町村が発刊した調査報告書に載っている墓石に彫られた文字列からすると、明らかに、それらの村々が転切支丹類族だったことも判ります。それが不思議でならなかったのですが、最近になって、保科家の家臣団が帰農していることを教えていただきました。 旧高遠藩領内には、かなりの数のキリシタンの痕跡が残っています。やはり、保科家は保科郷にいた時からキリシタンになっていたようです。この猛暑では、出掛けることが出来ませんが、秋になって涼しくなったら、もう一度、保科郷を少しじっくり巡って見たいと思っていますし、保科正光の妻の出身地である真田郷も訪ねてみたいと思っています。 もう大分以前に従姉がカンパして下さったお金で、『真田町史』などを真田町で手に入れて読んだのですが、民俗的習慣などの中に、気になることがありました。同じような習慣が残っている村が会津藩領内にあります。そしてその習慣は、明らかに帰農した武士の間で発生したコトであろうと考えられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.06 14:32:39
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