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テーマ:日本の未来(224)
カテゴリ:平和
【1969年8月6日】 1969年8月6日は、ヒロシマの平和記念公園のベンチで目を覚ましました。仲間と一緒にヒロシマへ行っていたのですが、あの時にはまだ平和記念公園にあった記念館を、前日にじっくり見て歩いて、衝撃を受けたので、仲間と離れて一人で平和記念公園で寝たからです。 「「核兵器も『弾薬』と解釈」「安保法案『輸送排除せず』」と朝刊の一面に見出しがありました。それで、総理大臣のスピーチに「非核三原則」がなかったことを理解できました。ヒロシマを訪ねたことのない方は、是非、一度訪ねて、原爆の恐ろしさを実感してきて下さい。こればかりは、理屈で考えても実感できません。 「化学兵器の輸送も条文上は排除されないとし、核兵器を搭載した戦闘機への給油も排除しない」と本文に書かれていました。そして、非核三原則を堅持し、また核拡散防止条約に加盟していることを根拠に、「まったく想定していない。あり得ない」とも防衛大臣はお答えになったとも書かれていました。 昨日6日は、ショックと暑さで一日、頭の中がすっきりしませんでした。防衛大臣は「これまでの特別委審議で、ミサイルや手りゅう弾、クラスター(集束)弾、劣化ウラン弾も弾薬にあたり、輸送を『法律上排除しない』と説明していたとも書かれていました。悲しいことです。平和を確立するため、抑止力を高めるために提案された安保法案は、とんでもない戦争法案だったことが、これで明らかです。そして、徴兵制は否定されていますが、「志願」は否定されていません。 ※「」内は、東京新聞8月6日朝刊より引用 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.07 20:34:29
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