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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の不思議な墓石】 この墓石はここで何回もご紹介したことのある墓石です。江戸時代には会津藩領だった村の古い墓地に残っていました。「延享二年」は西暦1745年です。 この戒名の先頭の文字ですが、「示ロニも」という要素で構成されている創作文字です。しかも、「示」には濁点が付けられています。この墓石に最初に出会ったのは2000年のことでした。その時には、この先頭の文字が創作文字であることは判っていたのですが、「ジロニモ」と読めることには気が付いていませんでしたが、比較的最近になって気が付きました。 「ジロニモ」は「ヒエロニムス」のイタリア語名だそうです。ローマ・カトリック教会で使われているラテン語訳の聖書を翻訳した人物ですが、そうしたことを知っている人物がこの創作文字を18世紀半ばに作ったということになります。それで、何回かこの墓地とその周辺を巡ってきたことがあるのですが、ある村で出会った方とお話ししていた時に、かなり遅くまで、宗門人別制度に組み込まれながらもキリシタンが隠れ続けていたことを彷彿とさせることをお伺いしました。 会津はそうしたことが起こっていても不思議ではありません。『会津藩家世実紀』という保科正之公以降の会津藩に残っている文書を編纂したものがあるのですが、保科正之公が会津藩主になられてから、捕縛されたキリシタンで処刑されたケースは一つしかありませんが、それも気になっていたのですが、『新編会津風土記』という文化六年(1809)に編纂された風土記に、不思議な記録が残っていることに気が付き、『会津藩家世実紀』に残っているキリシタンの処刑が行われていないことに気が付かされました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.10 17:38:31
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