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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【江戸市中のお寺にあった不思議な墓石】 2012年5月24日、山手線の内側の気になっていた一帯を訪ねてみました。この3枚の写真はとあるお寺で撮ったものです。多数の墓石や墓石石仏が斜面に並べられていましたが、その中に観音菩薩が彫られた墓石石仏がありました。驚きました。このお寺は浄土宗のお寺です。観音菩薩を祀ることは考えられません。 そして、中には戒名が彫られていた部分が破壊されている墓石もありました。原版で確認していますが、明らかに人為的に戒名が彫られた部分を切削しています。ただ、こうした表面破壊墓石はそれほど多くはありませんでした。しかし、こうした墓石以外にも転切支丹類族の墓石であることがはっきりしている墓石もありましたし、本堂の脇に織部灯籠が残っていました。このお寺から、北の丸まで車だったら15分か20分で行くことが出来るところです。 そして、江戸時代の中期以降は、この辺りは武家屋敷になっていたところですが、それまでは農地が広がっていました。おそらく、この一帯にあった村々に転切支丹類族がいたのであろうと思われます。そうした転切支丹類族が実際には転んでいなかったからこそ、観音菩薩が彫られた墓石石仏が残っているのであろうと思われます。 一度転んだキリシタンが、転切支丹として登録されていながらもキリシタンの信仰と習慣を保持し続けていたケースは、会津に残っている『転切支丹類族帳』にそうしたケースが記されていることから判ります。会津では、そうしたケースが少なくありません。そして、会津で宗門人別制度が施行されたのは、保科正之公が会津藩主になられてからのことであることは、『寛文風土記』『新編会津風土記』あるいは『会津藩家世実紀』に残っている記録から判ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.21 18:11:11
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