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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【江戸市中のお寺にあった転切支丹類族墓石石仏】 前述のお寺からそれほど離れていないお寺の境内にあった蒲生石仏です。上の墓石石仏の右側に戒名が彫られていますが、その下に「霊」と彫られています。下の墓石石仏の上部には「歸元」と彫られていて、左側の戒名の下にも「霊」と彫られています。そして、どちらの墓石にも施主の姓が彫られているのですが、その部分は暈かしてあります。 また享保四年は1719年で、宝永七年は1710年で、寛政十二年は1800年です。この頃にはこの一帯には武家屋敷が広がっていました。ですから、これらの墓石石仏は、武家のものであろうと考えられます。そして何よりも不思議なことは、このお寺は曹洞宗のお寺であるということです。ですから、何故墓石石仏に観音菩薩が彫られているのかが非常に気になります。 東京の山手線の内側にあるお寺の墓地を巡ったら、かなりの数のこうした不思議な墓石石仏に出会えるかもしれません。そして、こうしたことは会津ではそこら中で出会って来ました。ですから、こうした観音菩薩が本当に観音菩薩であるかどうかさえ疑わしくなります。 昨日辺りから少し涼しくなりましたが、猛暑日の連続で体調を崩しています。今夜はビタミン剤を飲んで寝ようと思っています。皆さまもどうぞ、お体をご自愛下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.23 20:26:22
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