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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【殉教者と転切支丹、そして転切支丹類族 その3】 この墓石は以前にもここでご紹介したことがあります。会津のとあるお寺の墓地に残っているのですが、右側の側面に「明治十五年 七月廿四日」と彫られています。そして、彫られている戒名の中に「一」が彫られていますから、おそらく転切支丹類族の子孫の家の墓夫妻の墓石であろうと考えられます。そして、明治十五年ですから、この時に「日本は仏教国だ」とお考えになっていらっしゃった方は、極めて少なかったであろうと思います。 しかし、こうした墓石が残っているということは、少なくともこのお寺や村の中で宗門人別制度が消えていなかったことは明らかです。この墓地には、かなりの数の転切支丹類族墓石が残っています。それらのすべてを写真に撮ろうと出掛けたことがありましたが、一日ですべてを撮ることは出来ませんでした。 こうした転切支丹類族の子孫の家々は、現在も様々な苦しみを負わされています。日本国憲法が施行されてからもです。そして、小生が高校生の頃に亡くなられた方の墓石に彫られた文字が、年月日と姓名以外はすべて切削されている墓石に出会って、非常に大きなショックを受けました。そして、その墓石の鮮明な写真を撮るために、何回かその墓地を訪ねました。 ある方からお伺いしたのですが、キリシタンに関するある研究会では、「類族」という言葉を使わないことにしているそうです。驚きました。江戸時代の歴史を考える上で、非常に重要なことなのですが、それを避けようとすればするほど、歴史を捏造することにしかなりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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