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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【「子安観音」の謎】 これも以前にここでご紹介したことのある「子安観音」石像です。会津のとある村にある観音堂に祀られています。この村の墓地を訪ねて、おそらく観音堂が建てられているだろうと思って、村の中を巡ったら、やはり観音堂がありました。2011年12月7日のことでした。 これは、観音堂に祀られていても、仏像ではありません。石像は仏像になりません。また、仏師が彫ったものでなければ、仏像にはなりません。そして、仏師は石で仏像を彫ることもありません。会津には、こうした石像の観音菩薩がお堂に祀られているケースが他にもありますが、そのお堂はおそらく、若松城下から移設されたものであろうと小生は考えています。 その観音菩薩石像は「無頸観音」であると『新編会津風土記』に記されていますが、『新編会津風土記』の編纂者は珍しく、その観音菩薩石像の起源に関して訝しく思っていることを記しています。 また、こうした「子安観音」が残っている村に関して、史料のデータベースから考えると、転切支丹移住開墾政策で成立したと考えられることが少なくありません。そして、この村にも伊那高遠の香りが残っていますが、保科正之公は一体何故、伊那谷から3000人もの農民を武士に取り立てて、山形最上経由で会津に連れていらっしゃったのか‥‥‥。非常に興味深く思えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.09.10 21:05:24
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