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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【関東平野の「子安観音」石仏】 一昨日、天気が良さそうだったので、所長と遠出してきました。気になっていたところなのですが、とあるお寺の参道(「男坂」)の上り口に3体の「子安観音」石仏がありました。そして、この石仏化ある村では、期日は判りませんが、この「子安観音」石仏が並べられているところで、現在も「子安観音」のマツリが行われているとのことでした。 この「子安観音」石仏が残っている辺りは、かなり前から気になっていたのですが、実に大きな収穫を得ることが出来ました。やはり、関東平野の広範囲にキリシタンが広まっていたようです。そして、関ヶ原の戦いの後、保科家が伊那高遠に移封されることを望んだ理由もはっきりとしました。 この3体の石仏、「子安観音」ですが、少なくとも菩薩ではありません。特に2枚目の写真と3枚目の写真に写っている「子安観音」には乳房が彫られています。ですから、旧高遠藩領内で宗門人別制度が施行されたのは、おそらく内藤家が高遠藩主になってからであろうと思われます。 車の免許を取ったのは東京に住んでいたときですが、東京ではほとんど車に乗っていませんでしたし、首都高がどこをどう走っているのか判らず、都心を抜けるのにかなり苦労したので、暗くなって帰ってきた時にはフラフラになっていました。おかげで、一昨日撮った写真を整理したのは、昨夜寝る前でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.10.01 16:45:24
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