|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の不思議な「石仏」】 これは少し前にここでご紹介したことのある「石仏」ですが、とある村の神社の境内に祀られています。「石仏」と括弧付きで記したのは、どう考えてもこれが仏を彫ったモノであるとは思えないからです。着衣が極めて異様です。そして下の写真は、同じ「石仏」を1998年に撮った写真です。ネガフィルムで撮ったものをプリントして、それをスキャナーで読み取っています。 この「石仏」が気になっているのは、このすぐ近くに聖徳太子堂が建てられていて、中には比較的大きな聖徳太子像が祀られているのですが、その聖徳太子堂も「キリシタン方位角」を向いています。村の中の道を直角に左に曲がって登っていくと、その聖徳太子堂が建てられているのですが、上がりきったところにお堂の右側側面があります。つまり、村の中から登っていっても、お堂の左側に回り込まないとお参りできないことになります。 それだけではありません。この村を通っている道は、主要街道ではありませんが、江戸時代から村々を巡る道でしたが、その道路沿いには4体の「子安観音」石仏が祀られています。それも、道路脇のすぐ気が付くところにです。そしてそれらの「子安観音」石仏はすべて、ここでご紹介したことがありますが、現在の村の情況と史料のデータベースを解析すると、宗門人別制度が施行されてから成立した村であることが判るところもあります。 歴史研究はどなたかが書かれた歴史書を読むことではなく、学校の教科書に書かれたことを覚えることでもなく、それらを土台にして、矛盾点を暴き出して、その矛盾点を解明するさぎょうです。会津藩がまとめた『新編会津風土記』でも、会津に残っていた文書を集大成した『会津藩家世実紀』でも、そこに記されていることをそのまま、事実として考えることは出来ません。そこで止まってしまった「歴史」学を文献史学といいますが、小生が大学で修得した研究方法は、近代的な科学的作業によって史実を明らかにしていく作業でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.10.10 10:03:39
コメント(0) | コメントを書く |