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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「孕み観音」】 これはこれまでに何回もここでご紹介したことのある「観音菩薩」石像ですが、下腹部が膨らんでいるところから、「孕み観音」と所長が命名しました。会津のとある村の墓地にあるのですが、隣の村の墓地には何体もの「孕み観音」石像が残っています。そして、この村を挟んで反対側の道路脇にも墓地があるのですが、そこには宝篋印塔の部品を組み合わせた石塔が建てられています。 この不思議な「観音菩薩」石像に最初に出会ったのは1998年のことでした。その時には、下腹部が膨らんでいるとは思えず、「メタボ」だと思っていました。しかし、2006年にこの写真を撮った時に、所長から下腹部が膨らんでいることを教えられ、この「孕み観音」の意味が見えました。そもそも観音菩薩は菩薩ですから、妊娠することも、出産することも、授乳することもあり得ません。菩薩は性を超克した存在です。 この村には地蔵菩薩が祀られたお堂がたてられているのですが、地蔵菩薩も菩薩ですから、子供を産ませることは有り得ませんが、この村の地蔵菩薩は子供を遊ばせる地蔵菩薩とされています。会津に残っている民話を集めた本に記されています。江戸時代の中期初頭に宗門人別制度が施行されて、お寺が人々の死に関わるイニシエーションを儀式化して執り行うようになってから、こうしたことは、ほとんど一般民衆の中から消えてしまったようです。 しかし、会津を丹念に巡り続けてきて、様々なところで村の方からお話をお伺いすると、会津で昨日した蒲生軍団、加藤家の家臣団、そして保科正之公と共に山形最上経由で会津に入って来た保科正之公の家臣団が帰農していることに気が付かされました。ですから、会津には信州の訛りが残っている一帯があります。以前に「京都の言葉だ」と聞いたことがありますが、京都ではなく、明らかに信州です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.10.23 17:19:19
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