伊那高遠のとある城跡 その2
【伊那高遠のとある城跡 その2】 これも伊那高遠で撮った写真ですが、神社は八幡神社です。そして、この神社のお社の奥にはかなり広い空き地があります。伊那谷の城趾一覧を見るとここもまた別の土豪の城があったところのようです。 ここを最初に訪ねたのは、もうかなり以前のことで、伊那高遠を2度目か3度目に訪ねた時でした。三峰川沿いに高遠町中心部に下って来る途中で、河岸段丘の上にある道を走ってきたら、上の写真の左の方に「庚申」碑や「甲子」碑等が建てられていたので、それらの写真を撮ったのですが、神社が気になったので、境内を少し歩き回ってみました。 松山義雄『深山秘録』(法政大学出版局)を少し読み返していたのですが、その本で詳しく取り上げられている木地師の村以外にも、いつの頃からか木地師の村が出来ているのですが、その村の家々がどこから入って来たのかははっきりしていないそうです。しかし、宗門人別制度が施行されるよりも以前の人物の位牌がお寺に残っていることが記されていて、非常に興味深く思えました。 江戸時代中期になって、高遠藩主が内藤家になって以降に亡くなったか、あるいは宗門人別制度から先祖の位牌を作ったかのどちらかであろうと思われますが、先祖に関する伝承を確かなものにするために、後の時代に作った可能性もあるだろうと思えます。ただ、『深山秘録』を読んでいると、会津で『新編会津風土記』に載っていない木地師の村の不思議さもだんだん消えていきます。