こどもの日
昨日は子供の日そして端午の節句、息子にとっては大事な日。 主人はこのところ仕事が忙しく、早出、残業、休日出勤と、家にいるよりも会社にいる時間の方が長い。そんな主人も「子供の日だけは、休むと以前から決めていて、その通りとなる。が、主人の休みは11日ぶりのことだった。連日の仕事の疲れがピークにさしかかっている様子が手に取るようにわかる。それでも、ゴールデンウィークの1日くらいは、息子にどこか連れて行ってあげたいという気持ちがあり、今日は家でゆっくり過ごせばいいのにという私の提案を却下された。 息子は、久し振りに家族3人で出かけられる喜びで、自然とテンションがあがる。さっそく、本日のプランを立てるべく、パソコンの前に3人が集合したのだ。主人は、日帰りで楽しめる行楽地を検索し始めた。息子の目も輝きはじめ、わたしは黙ってその展開の行方を見守っていた。が、なかなか決まらないのである。主人はどこか広い公園か牧場の野外を楽しみたい様子だったが、息子はそれに気乗りしないようすだ。そしてこともあろうか、とんでもない計画をうち明けるのだった。「迷子ドライブがいい」と。迷子ドライブとは、私と息子が来るまで出かけるときに、時々試みる、ちょっとくだらないお遊びだ。買い物に行くときや遠くの図書館などに行くときに、全く知らない道に入って、勘を頼りに目的地まで行くというゲームだ。知らない住宅地は迷路のようで面白く、また素敵な公園などに出くわしたりもする。ちょっとした「冒険」だ! つい最近、この「迷子ドライブ」が敢行された。私と息子は、いつもように、「ここ曲がったことないから行ってみよう」とこの時のハンドル裁きは実に軽快だったやがて目の前には美しい田園風景があらわれた。息子はこの景色をみて直感したらしく「あそこを右に曲がると、線路際の道にでるんだよ」と目を輝かせた。電車男の言うとおり曲がった先には線路が突如表れたのだ。息子は大喜びでこの「迷子ドライブ」を楽しんだ。電車の線路がカーブすると同じように、道路もカーブしていることに喜び、車の脇を電車が通ろうものなら大変である。後部座席の窓を全開して、走り去る電車を食い入るように見つめるのだ。そして、息子の口からいつものあの音が聞こえてくる。私にとって電車の音は「ガッタンゴットーッン、ガッタンゴットーン」なのだが、息子にとっては「ウーン、ウーーン………」言葉でその音を表現するのはちょっと不可能なのだが、電車のモーター音なのだ。車種によってその音も微妙に違うらしいが、興味のない人間にとってはどれも同じだ。線路際を進んでいる間中、そのモーター音は鳴り続けた。しばらく順調に走っていたのだが、なにやら怪しい雰囲気になってきた。これまでは2車線あった道が1車線へと変わり、道もどんどん狭くなるのである。対向車とすれ違う時は、スピードダウンしなくてはならなくなった。そして、進めば進ほど、その先はどんどん、どんどん狭くなる。やがて小さな踏切が見えたので「あそこの踏切を渡ろうね」と一応息子に同意を得ようと問いかけると、「いや、もう少しこの道がいい!!」と言うのである。私の前方には車1台走っていない。対向車も姿を見せなくなっていた。バックミラーで後ろを見ると、車が1台見えていた。それも我が家の車よりも大きいようだ。何の根拠もない安心を得た私は息子の言うとおりに車を走らせることに決めた。が、その後後続車をバックミラー越しから見ることはなかった。あの踏切を渡ったのだろう…。前後1台も車が走っていないとわかると途端に不安になった。手のひらは汗だくだ。道はいつしか、アスファルトから土むき出しの姿へと変わっていた。そして、車は農道へと導かれて行った。引き返そうにも、引き返すだけのスペースがない。車1台やっと通れるくらいの道幅である。「やっぱり、さっきの踏切渡ればよかったよ~!」口から出る言葉はこればかりである。息子は実際にハンドルを握っているわけではないので気楽なものだ。後部座席から、鼻歌さえ聞こえる。やがて線路は右に大きく曲がり、農道は大きく左に曲がり、その道はトラクターが往来する時にできたのであろうか轍で出来た凹凸が多数出現して、車は大きく上下するのだった。私はシートベルトをはずした。すると後部座席の息子が「何でシートベルトはずすのさ?」と聞くのである。この緊迫した状態で面倒くさいと思いながらも「お母さんは背が低いから、時々腰を浮かして車輪が落ちないように見張りながら走ってるわけ!!それに車がもしこの田んぼの中に落っこちたときに、シートベルトをしていない方が、早く逃げられるでしょ!!」と少し緊張感を与えようと脅してみた。が、大爆笑された。そして激しく揺れる車内がまるで大地震が来たようだと興奮している。本当に大地震が来たら恐怖でそんな脳天気な顔をしていられまい。しかしあるところで、ピタリと揺れは治まり、我が道は規則正しい十字路が存在し始めた。農道のど真ん中を呆れた親子がのんびり走るのである。とりあえず前に進むことだけを考えてハンドルを握っていると、前方から対向車がやって来た。再び車に出会えて喜んだものの、その喜びが一瞬のうちに緊張へと変わるのだ。ここは農道。2台の車がギリギリすれ違うスペースしかないのである。再び腰を浮かしながら、そろりそろりと左端に車を寄せると、対向車も少し前方でやはりギリギリ端によって停まって、私が過ぎるのを待ってくれていた。それも、左の車輪は草むらの中に入りこんで、ギリギリの所まで寄せてくれているのである。私は、右手を挙げてお礼をしながら、ゆっくりとすれ違う。ここから先も数台の対向車に出会うのだが、皆、紳士的に私に道を譲ってくれるのだ。すっかり気を良くしていると「なんでいつもお母さんばかり譲ってもらうのさ!たまにはお母さんも譲ってあげればいいのに!」と後部座席から声をあげる。人の気も知らないで…「こういうときは譲られた方が勝ちなのさ!」全く理屈にかなっていない回答である。そうこうするうちに、農道の人口密度が高くなってきた。犬の散歩、ウォーキング、サイクリングと車以外にも、人の姿が見られるようになってきた。そして農道を走るのもようやく慣れ、肩に入っていた力も自然と抜けたころ、後ろからくる我が家の車に気付かずに、あるいている年上の女性がいた。後続車がいなかったのもあって、しばらくその女性の速度に合わせるようにしていると、またしても後部座席。「なんでクラクション鳴らさないのさ!」「だって、せっかくいい気分で散歩をしているのに、いきなりクラクション鳴らされたら、きっと気分悪くなるよ。それにクラクションって心臓に悪いからね」と言い終えた瞬間、前を歩く女性が、パッと後ろを振り返り、こちらを「ギロッ」とこちらを見た。「お母さん、あの人、お母さんのこと睨み付けてるみたいだよ。なんかしたの?」「…。」 親のあわてふためく姿を見るのが面白かったのだろう。 しかしながら、息子の思い通りにはいかなかった。 主人は細い抜け道を通るのが大嫌いなのだ。 結局、行き先の決まらない親子は、天気もいいしプロ野球でも見に行こうと話がまとまる。千葉ロッテの開幕戦を見に行ったとき、息子はあと少しでファールボールをとれそうだったのだが、息子の広げる手の上には、突如あらわれた青いグローブをもつ我々と同世代と思われる男性。グローブは見事、ボールをキャッチして、一緒に野球観戦に来ていたやはり息子と同年齢くらいの少年に差し出していた。息子はとても悔しそうだった。大の大人が、子供からボールを奪うなんて大人げないと家に着くまで言うのである。主人は最初はファールボールよりも、応援団のお姉さんや、売り子のお姉さんに興味が一杯であったが、あのときの息子を思いだしたのだろう。と私は推測するが…本当の動機は分からない。 決まれば行動は早い。急いで車に乗り込む。試合開始には充分間に合う。お疲れモードの主人も気分転換になると、嬉しそうに球場に向かった。そして、近くの地下駐車場に車を停めると、5月の心地良さを感じながら、入場券売り場を目指した。が、我々一家の目に入り込んできたのは、なんだかすごい長蛇の列。開幕戦は、一塁側は地元ファンで一杯だったが、3塁側には空席が目立っていた。3塁側に急ごう!!2人はさらにスピードを上げる。私も遅れながら後を追うのであるが、行く手を阻むように球場関係者からの拡声器による案内があった。「本日の試合の入場券は完売致しました」父親の落胆ぶりは凄かった。が、息子はさほど落ちこむ様子もなく、「そうだ!カルフール(ショッピングセンター)に行こう!」と言い出した。わたしはすぐに「ピーン」ときた。前回の開幕戦の時も時間つぶしのためにカルフールに行ったのだ。その時、玩具売り場で息子はある商品だけをじっと見ていた。ボードゲームのようだった。タイトルは分からないが、人生ゲームの旅行バージョンのようなたぐいのものだった。息子は、私と手をつなぐと、さりげなくその商品が置いてあった場所へと誘導するのだ。私の思っていたとおりの行動である。それでも私は素知らぬ顔をして、息子の行動を観察することにした。が、息子の様子がおかしいのである。息子の目は商品が陳列してある棚を上から下へ、下から上へ、右から左へ、左から右へと忙しい。例の商品はこの店から消えていたのである。今度は息子が落胆する番だ。 落胆した父と子の後ろ姿を見ていた。父親の体調が良ければ、ららぽーとのトイザらスにでもつれていこうかと思ったが、その元気もなさそうだ。息子には、日曜日に埋め合わせをしよう…。 行きはよいよい、帰りは怖い…とは良く言ったものだ。行きのテンションの盛り上がりが嘘のようだ。主人は疲れ切って口数が減り、息子にとってはちっとも楽しいことがなかったとばかりに口を尖らせている。わたしはそんな空気をすこしでも変えようと、どうでもいい話しを始めるのだが、「お母さんは元気で良いね。すっかり病気も治って良かったね!」とすっかりご機嫌ななめでからんでくるのだ。ふだんなら、そんな口の利き方をすると、「お母さんにそんな口の利き方をしたらいかん!」と父親の声が飛ぶのだが、主人は疲れて、私たち親子の会話は耳に届いていないようだった。 家の近くのスーパーに車が近づいた頃、「そういえば、柏餅を帰りに買って帰るっていっていたけど、スーパーによるか?」と主人がやっと口を開いた。だが、その顔から疲労の色は隠せない。なんとなく、寄り道をするのを躊躇うが、一応息子に聞いてみた。「柏餅食べたい?」と。不機嫌な息子にこの場で聞いたのが悪かった。「この前給食で食べたからいい!」とさらに機嫌が悪くなった。その言葉をうのみにした主人は、スーパーを素通りしていた。息子に聞くまでもなく、スーパーに寄ってもらうべきだったと後悔してしまった。 家に着くと、主人は倒れるように、少し休むと言って布団に入った。息子は相変わらず口を尖らせていた。可愛そうに…。 私は息子に「ボードゲームしようよ」と誘った。「仕方ないからつきあってやるよ!」と渋々応じるのだったが、いつの間にかムスコが仕切っていた。 今日、息子は柏餅を2つ、食べました。とても嬉しそうでした。子供の日の柏餅」は、やはりなくてはならないものなのです。おひなさまには雛あられがあるように、端午の節句にも柏餅は大事なのです。