カテゴリ:歴史散歩
ここ陣ヶ岡は、実はすごい場所なんですよ~ 坂上田村麻呂が、蝦夷の大獄丸を攻めるとき この地を陣地にしたそうなのです。 その時は平らな場所だったのだそうですが 五日三夜にわたる大雨で、大洪水となり 陣地まで水が押し寄せましたが 不思議なことに、陣場が浮き上がり岡になったのだそうです。 ここが陣ヶ岡の入り口? 蜂神社と書かれた鳥居がありました。 境内には、この地を訪れた人たちの由来や何やらが あちこちにありました。この雑然さは… 不動の滝のワンダーランドを思い出しました。 え?蜂神社じゃなくて、八幡宮なの? 岡は杉林で覆われておりました。 ここは切株社 拝殿の前にある大きな岩の上で願い事をすれば 願いが叶うそうです。 蜂神社は、前九年の役(1051~1061)の時に 陸奥守源頼義と、その子八幡太郎義家が 春日大社にある三日月堂の蜂が現れて 戦勝したことから、蜂を祀って蜂神社としたそうです。 でも八幡宮だよ? 坂上田村麻呂がここに来たのが1200年前だけど もっと前にもここに来た人がいたらしい その人の名は 日本武尊(ヤマトタケル) 本殿の裏手にあるこの古墳は 1600年前に、この地に野宿したときに誕生した日本武尊の王子が 月日浅く亡くなり、ここに埋葬されたのだそうです。 日本武尊も、蝦夷征伐に来たんだよね…
そして、岡を下ったところにあるのが 月の輪形の池です。 池はすでに干上がって、ただの草原になっていました。 ここは1182年に、この地を訪れた藤原秀衡が 前九年の役で、源氏の旗印の満月(太陽)と三日月が ため池にうつり、士気が大いに高まった という里人の話を聞き 池の中に満月(太陽)と三日月型の島を作らせたのだそうです。 丸い島の上に登ると、三日月型の島もかろうじて見えます。
1189年に源頼朝が平泉を攻めたときにも、ここが陣地となりました。 敗走して捕らえられた藤原氏の四代目泰衡の首をさらしたのも この地でした。 月の輪形の池の反対側に 首洗いの池があります。
この岡全体が不思議な空気に包まれていたような気がします。 私が神社を訪れたときに、 腰がまがり杖をついたおじいさんが まるで仙人のように、境内を風のように素早く歩き回っていました。 神社の氏子さんなのでしょうか それとも… つづく~かもしれない
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|