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3月20日から22日まで2泊3日で平戸・天草・唐津・伊万里の旅に爺やをお供に行ってきました。
先月2月は鹿児島の旅。 今月3月は佐賀・熊本・長崎の旅です。 二人とも周りで早く逝ってしまう仲間がいたり、入院手術という人がいたりでなんとなく残りの時間は本人が思っているほど長くないのではという焦りがあるのかも。 20日(土) 京都から新幹線で小倉までその後バスで唐津・虹ノ松原=鷹島肥前大橋⇒鷹島モンゴル村(700有余年前鷹島沖を舞台に繰り広げられたフビライの蒙古軍の襲来≪文永の役&弘安の役の元寇≫で有名な鷹島のモンボル村) つい先日高嶋哲夫さんの文永の役&弘安の役の元寇を意外な話にして楽しませてくれた『乱神』を読んだばかりで興味深かった。 だが風力発電のタワーが何基も立ってるだけあって、雨も降り出し風が強く歩くのも大変。 ⇒伊万里・大川内山(鍋島藩の御用窯で有名な「秘窯の里」で窯元めぐり)=平戸大橋 ⇒平戸・千里ヶ浜温泉 21日(日) 平戸・千里ヶ浜温泉⇒平戸島内観光(オランダ商館跡・オランダ塀・オランダ井戸・松浦資料博物館) オランダ商館跡からジャガタラお春の道を歩いて松浦資料博物館へ。 きっとこの細い道がジャガタラお春の道と呼ばれるのはオランダ商館へお春が近くの家からお手伝いに通っていたのだろう。 そしてそんなジャガタラお春のような女やその子供たちはキリシタン禁止令の出た後、浜に集められ二度と戻ることを許されずジャカルタへ送られたと言う。 狭い島のこと、顔見知りの役人たちも泣きながら女子供を引き立て浜から船に乗せたとか。 そんなジャカルタから故郷恋しい・日本恋しいと袱紗などに織りこまれ送られた女の悲しい手紙のジャガタラ文が数通残されているとか。 バスの窓から見た墓地の墓石の上には全て十字架が立っていた。 本当に島がキリシタンの島だったんだなぁと初めて見る十字架のある墓にジャガタラお春たちの悲しい声がする思いがした。 =平戸大橋⇒鹿子前~~パールクィーン号で九十九島の島巡りクルージング~~鹿子前 =諫早で長崎銘菓のカステラの試食販売 オジさんとあれこれ試食して結局一番ベーシックなハチミツカステラを1本お買い上げ。 他の人たちは大きなかご2つにいっぱい買ってる人もいたり、持ちきれないので宅○便にしている人までもいる。 夢家は自分たち用の1本のみ。 何処に行ってもお土産を買わないというのは夢家のスタイル。 単にけちという訳では決してありません。 ⇒口之津港~~フェリーで~~⇒鬼池港⇒天草下田温泉 この温泉は夕日が海にジュッと沈むので有名な宿。 運転手さんがなんとしても皆にあの東シナ海に沈む夕日を見せてあげたいと頑張ってくれたので、ゆっくり大きなオレンジ色の夕日がジュッという音をさせて東シナ海に沈むのを堪能させてもらった。 22日(月) 天草下田温泉=妙見浦(奇岩の警官を十三仏展望台より見物)=ロザリオライン=大江天主堂(白亜のロマネスク様式の教会)=明徳寺(キリシタン禁圧の歴史が残る曹洞宗の名刹)参拝 =天草瀬戸大橋=天草松島展望所(美しい多島海と天草五橋)=天草パールライン=天草松島=天草五橋=三角西港(三角築港記念館・ムルドハウス・海技学院・石積ふ頭などの往時がしのばれる風景の残る街並みの散策)⇒大宰府IC⇒博多⇒新幹線⇒京都 1日目は雨が降り風も強くて諦めムード。 2・3日目はとってもいいお天気で楽しい旅行が出来ました。 博多で、博多○ゃんぽんも食べられたし、大好物の博多○りもんもお土産に買えたし。 ただ、国内旅行は美味しい食事をいっぱい食べるので太ってしまうのはやや問題ですが。 楽しい旅行に感謝感謝。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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