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〇 三枝子は彼の手を取って、 「ほら、永井さん!これが私の心臓の音、ドキド キ元気に動いているでしょう? ほら、これが貴方の心臓の鼓動よ! ドキドキ言 ってるわ! ほら、こんなに正確に!・・・ねエ、ほらっ!私と 同じように元気に動いているわ!二人共生きてい るのよ、貴方は生きているのよ、普通の人と同じ ように、ほらっ!判るでしょ!・・・・・・」 三枝子は感極まって泣きながら、懸命に続けた。 彼の左手を彼の左の胸に当て、右手はしっかと自 分の左の乳に当てがった。 三枝子達は雪の上に座っていたのだが、冷たいと は感じなかった。 三枝子の左胸に置いた彼の手に、次第に力がこも って来た。彼女はその上に自分の手を重ねて押え た。 どれほどの時間が過ぎたのであろう。突然、彼 は三枝子を抱き竦めた。彼女もこれに応えた。乳 を通して、彼の胸の鼓動が聞こえるような気がし た。 彼女の腕に暖かい滴りが落ちた。永井の涙に違い なかった。涙すら浮かべることのできなかった彼 が泣いている。感情が甦ったのだ。 「永井さん!」 そう叫んで、三枝子は夢中でしがみついた。 エピローグ 彼女は、ふと、我に返った。三枝子はフィアン セ、亘の腕に絡みついていたのだった。彼女の 頬を軽く指で突きながら、 「君の今の涙は美しい。美しいよ。きっと美し い思い出があるんだろ。幸せな人だよ、君は。」 亘はそうささやいた。夕日が沈んで風でも呼ん だのか、色づいた銀杏の葉がはらはら落ちて行 く。 三枝子はまるで死んでいった永井を見送るよう な気持ちで、それを見ていた。 白衣を着ていながら永井を誘い、抱き締めたあ の爆発的な感情は、永い間、彼女の胸の奥に蓄 積されていた愛の炎というべきものであったろ う。 彼女の愛は、ついに白衣を貫き迸ったのだ。看 護婦としては罪を犯したのかも知れない。しか し、恋人として止むに止まれぬ愛の表現であっ たのだ。 その日の永井は再び意識を回復したのであったが、 二人の新しい結びつきは、二人の離別を早めるもの でもあった。 互いに愛していれば一緒になるのが世の常とは言え、 このような事情の下では叶えられない恋でしかなか った。 二人は求め合いながら、別れが近づいて来るのを、 ひしひし感じていた。・・・・・・ そんな訳で、三枝子は勤め先を変えた。今度は 大学の付属病院であった。 二年の月日は、彼女の胸の中を洗い流してくれた。 そして、彼女は叔母の勧めで見合いをした。 包容力のありそうな亘は、三枝子には勿体無いほ どの人物であった。 一方、亘はすっかり三枝子が気に入ったと見え、 積極的に話を進めて来た。 今、三枝子の胸の何処かに、小さな、新たな炎が 燃え始めているのかも知れない。思い出深い白衣 に別れを告げる日も遠くない。 二人はベンチから離れると、夕食を摂るのだろ う、ネオンの街に肩を並べて消えて行った。 昭和44年9月3日 BY陸治 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.05.03 08:13:24
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