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2月2日~8日の1週間ベトナムのハロン湾・ハノイ&アンコール遺跡(カンボジア)に行ってきました。
ベトナムは日本と同じ縦に長い国で北ベトナムのハノイやハロン湾の朝夕はこちらの服装のままでもそれほど暑くはありません。 もちろん昼間は上着は脱がないと暑いけど。 最低気温11度最高気温18度くらいでした。 ただ稲の二毛作が普通のベトナムでも今年の1月は異常に気温が低く稲田の稲が黄色くなっていて、毎年1月にする田植えどころではないと現地ガイドのHUNGさんが言っていました。 物を知らない夢子は稲の種類が違うから、苗が黄色いのかと思っていました。 ハロン湾はハ=降りる・ロン=龍。 つまり龍の降りたところ(湾)という意味だそうです。 このハロン湾は海の桂林といわれ島々がまるで中国の桂林のようです。 丁度この時期はすっきりと快晴でないので海上の島々がもやってまるで水墨画のようでした。 普通は3時間くらいのクルーズのところ今回のツアーはちょっとプレミアムにしたので、ゆっくりたっぷり6時間のクルーズ。 途中で数年前に発見され2,3年前に公開されたものすごい鍾乳洞の島に上陸したり、カニやエビやカブトガニなどを養殖してるいかだの水上生活を愉しんだり。 カブトガニって天然記念物じゃないの 日本では天然記念物のカブトガニも処変われば養殖して食べられんですね。 小さなボートのような船にフルーツを乗せて貧しい水上生活者がクルーズしている船の観光客に売ろうとして張り付きます。 まだ3,4歳のはだしの小さな子供がバナナやマンゴーやシャカトウなどを両手に持って「好き好き、LOVE,LOVE、愛してる1ドル1ドル」と叫ぶのです。 たまらない気持ちになります。 貧しいということは本当につらい悲しいことなのですね。 情にほだされやすい夢子はマンゴーを2ドルで買いました。 時期はずれでしかも小さいマンゴーは美味しくありませんでしたが、2ドルを渡した時のあの女の子の嬉しそうな笑顔だけでもう充分。 ハノイではホーチミン廟や文廟などを廻りました。 丁度春節祭の真っ只中でベトナムの正月飾りの金柑の木があちこちで売られていました。 ハロン湾のホテルの朝食の時も龍や獅子舞がにぎやかに鐘を鳴らし所狭しと練り歩いて愉しませてくれました。 文廟は日本の天神さんのような処で受験生や子供の立身出世を願う人で溢れていてHUNGさんも添乗員さんも「スリに気をつけて」と叫びまくっていました。 北ベトナムのハノイからカンボジアのシェムリアップへ飛行機で1時間40分。(実際は1時間くらい) シェムリアップはハノイの約2倍ほどの気温、最高気温が38度最低気温が22度。 脱げるものは全て脱いで何とか入国。 翌日2月5日はアンコールトムへ。 アンコールトムとは大きな街(城都)の意味。 ここで今回のメインである日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JASA)の専門家のレクチャーを受けヘルメットをかぶりアンコ-ルトム・バイヨンの南経蔵の修復現場の足場の一番上まで上がり見学。 修復現場でヘルメットをかぶり足場に上がるという経験はとっても貴重なっ経験でした。 ここアンコール遺跡でのJASAの修復は部分解体修復という形で、何でもかんでもコンクリートで固めたて終わりというやり方をせず、残せる遺跡の昔の知恵や技術を大切にしながらの修復。 几帳面で細かい作業をきちんとする日本人を現地のスタッフもとても信頼しているようでした。 カンボジアの現地ガイドのサンバンさんは「日本人はきちんと援助をしてくれてア○リカのように口も出さない。中○のように商売にしようとしない。」と何度も言っていました。 ただ家に帰って爺やに話したら「そこが日本の弱いところかもしれない。」と。 今回の旅ではいたるところで中○人の団体とバッティング。 はっきり言って同席したくない人達です。(ごめんなさい) マナーが悪すぎます 暑いカンボジアでは昼食後にいったんホテルで休憩して、休憩後アンコールワットの第1回廊から第3回廊までをじっくり見学。 その後、傾斜角75度の狭くて急で崩れた階段を上がらないといけないプノンバケンからアンコールワットに沈む夕日をただただ無言で眺め感動しました。 感動はいいのですが、このプノンバケンの崩れた巾のほんとに狭い、しかも傾斜角75度の階段は一度怖いと思ったら登ることも降りることも出来なくなります。 夕日見たさに山道を必死で歩き遺跡の階段もためらわずに一気に登りました。 見上げたらダメだと思ったのです。 本当は登るよりも降りるほうが数段怖いです。 サンバンさんも、「時々日本人降りられないと泣いてます。」と。 はっきり言って遺跡には余り触らないということは分かっていますが、まるで一段一段遺跡の壁にしがみつき遺跡を両手で拭きまくってやっと降りてきました。 はいていた黒いズボンも土埃とドロだらけ。 急いで降りないと山道は真っ暗になると言われていたので、一目散に山道を降りました。 本当に真っ暗です。 懐中電灯が役立ちました。 翌日は又アンコールワットの上に昇る朝日を見るためにAM4時起き。 睡眠薬を飲んで即眠りに着きました。 2月6日 早朝普段では考えられない早起きしてアンコールワット遺跡に。 今は朝日はアンコールワットの中央塔の右側に登ってくるから、アンコールワットに向かって左よりの写真ポイントへ。 朝日が中央塔の真上に上がってくるのはもちろん春分の日と秋分の日。 何処に行ってもこの春分の日と秋分の日の日の出が建物の中央を通るように建てられている。 ほんまに昔の人の天文学や建築学はコンピューターのない時代寸分の狂いのない計算をどうしたんだろうと不思議でならない。 沐浴池に映った逆さアンコールワットも見られたし荘厳な日の出にも感動したし。 いったんホテルに帰り朝食。 朝食の後、東洋のモナリザで有名なバンテアイスレイ(女の砦の意味) 東メボン・プレループ(変身・転身の意味)を巡り、又いったんホテルで休憩。 休憩後はバンテアイクディ(お坊さんの砦)・スラスラン(スラ=池、スラン=沐浴)・そして映画トゥームレーダーの撮影で有名になったタ・プローム遺跡へ。 タ・プローム遺跡ではスポンと言う巨樹の根が大蛇のように遺跡に巻きつき回廊を押しつぶしています。 木を取り去ると遺跡も崩れるので、押しつぶされるままの保存を今はするようです。 遺跡の保存もほんまに簡単なことではないのですね。 2月7日 ツアー最終日はシェムリアップからバスで2,3時間ほど北東?に行った密林の遺跡ベンメリアへ。 このベンメリアはアンコールワットの練習だったという説もあり、修復はしないという方針だという。 まるで発見当時のアンコールワットのようだとか。 ここは2,3年前までは密林の中に取り残され、周りにはキングコブラや猛毒のグリースネールがウジャウジャ。 あっちにもこっちにも地雷がいっぱいだったところ。 ガイドのサンバンさんは「もう地雷もキングコブラもいないよ。」というけれど。 独立してまだ11年の国カンボジア。 私達がいた時もタイとの国境線では2,3時間の限定戦争とは言え空爆が毎日あったのです。 遺跡の近くでしらみ取りをする人やはだしで観光客にまとわりついて物売りする子供達。 60数年前の終戦直後の日本もこんなんだったのかも。 自分達の力と頑張りで立ち上がるしかないのかもしれません。 もちろん先に歩いている国の援助は欠かせませんが。 もしこの国を訪れるなら、土埃のためにマスクは必需品です。 いつものようにお気楽夢子の旅も事故も怪我もなく無事終りました。 感謝感謝。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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