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2006年02月09日
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カテゴリ:音楽

ジェネシスってピーター・ガブリエルがいたころは曲が長かったりでつまらなかったけどガブリエルが抜けてフィル・コリンズがリーダーになってからはポップになって売れた・・・」

なんて言っている人間はただの聞きかじりの知識だけで喋っているだけで、実際にジェネシスなんてまともに聞いたことはないはずだ。

(自分をP・ガブリエルの熱心なリスナーであると知って)目の前でそんなことを口走る人間は多かった。そんなときは「それでは『トリック・オブ・ザ・テイル』と『静寂の嵐』のつまらなさはどう説明するのかね?」と逆に聞くことにしていた。まあだいだい全員が口篭ったり黙ってしまったが。つまり聴いたこともないし知らないのだな。

ジェネシスのメンバー変遷を軽くおさらいすると、74年『眩惑のブロードウェイ』発表後リーダーでありボーカリストだったピーター・ガブリエルが脱退し、その後ライブアルバムを含む上記二枚、計3枚のアルバムを発表した後、オリジナル・メンバーのひとりだったスティーブ・ハケットが脱退したのが78年のことであった。その直後にリリースされたのが世界的な大ヒットになったB6を含む、この「そして三人が残った」である。つまり上記のようなことを言う人間は本来ならば

「ジェネシスってスティーヴ・ハケットがいたころは曲が長かったりでつまらなかったけどハケットが抜けてフィル・コリンズがリーダーになってからはポップになって売れた。」といわなければならないのだがな。

時間軸をはっきりさせておくとこうなる。ジェネシスが「トリック・オブ・ザ・テイル」を発表したのは76年。ガブリエルが初のソロ・アルバムを発表したのが77年。そしてジェネシスからスティーヴ・ハケットが抜けて「そして三人が残った」がリリースされたのが79年、と常にジェネシスは(抜けたリーダーの)ガブリエルの後を追うような形でポップなスタイルを確立していったのである。決して逆ではないのだ。

とはいえ、ソロになったスティーブ・ハケットがその後低調かというと実は精力的な音楽活動を続けておりそのほとんとがギターソロのアルバムなのだがその卓越したテクニックと曲作りの上手さという点で今でも高い評価を保ちつづけている。

思えば、ガブリエル時代のジェネシスの最大の欠点はその民主主義というよりも悪しき平等主義がもたらした弊害にあった。スティーブ・ハケットがギターのソロパートを強調しすぎることに誰も歯止めがかけられなかったのがアメリカ受けしない、一曲が長くなり印象が散漫になる原因でもあった。そういう意味ではピーター・ガブリエルは無能なリーダーだったと言えるかもしれない。案外アンソニー・フィリップスあたりがリーダーシップを取ってればのっけから抑制のとれた曲を量産する、アメリカ市場向けのポップバンドになっていたかもしれない。

実際、『アバカブ』の中からシングル『ノー・リプライ・アット・オール』がアメリカで大ヒットするとほぼ同時にヨーロッパでのジェネシスの人気は停滞し、下降気味になってしまったしな。

『そして三人が残った』からのシングル『フォロー・ユー、フォロー・ミー』はジェネシスにとって最後の全ヨーロッパ(だけの)大ヒット曲。この曲がピーターガブリエルの『ソウルスベリー・ヒルズ』にインスパイヤされたものであることは当時誰もが感じたはずだ。実際フィル・コリンズはその前後「あの曲」という言い回しでガブリエルからの影響を暗に認めてしまっていた。

この曲の全ヨーロッパでのヒットとして有名なエピソードとしてはフィギアスケートの女王、スイスのデニス・ビールマン(あのビールマン・スピンに名を残した)がエキジビジョンではどのヨーロッパのどの大会でも必ずこの『フォロー・ユー、フォロー・ミー』を使っていたくらいだった。まずこの曲が流れはじめるとどの国でも観客は総立ちで大喝采になっていたものだった。

こういったジェネシス以外でも洋楽関係での誤解はその他にもかなり多い。まあしかたのないことではあるがたとえば洋楽専門のラジオのディスク・ジョッキーなどやってて自分と同年代の人間が未だにこういう基本的なミスを犯しているとなんとなく自分のせいのような気がしてならないことがある。当時はかなりしつこいくらいこの誤解を解くために活動やらロビーイングはしていたのだが、力不足だったようだ。かなり夜郎自大な感覚ではあるが。

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初出『これもまた人生の一日』06.02.09
リクエストがありこちらにも掲載します。










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Last updated  2006年02月12日 02時41分09秒
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